退歩集:唐意紫砂杯 — 古意の形、修補の道

唐意紫砂杯,古意修补后的器身特写。
退步集|唐意紫砂杯(古意修补)

この小さな杯には、誇張した造形も、華やかな釉色もない。
その存在はむしろ、土の奥深くからそっと呼び起こされた古意の記憶のようだ。

紫みを帯びた素胎は砂質で、手に取ると石のように静か。
火痕が表面に淡く散り、
それは「自然のままに成る」という唐代の美意識を思わせる。
完璧を求めず、
時間が残した痕跡をそのまま受け入れている。

杯にはかつて傷があった。
しかし捨てられることなく、
古意の修補によってその形と命が再びつながれた。
修補とは隠すことではない。
壊れた事実を認め、
その上で器が別の形で生き続ける道である。

土は火によって器となり、
器は修補によって歩みを続ける。

この杯における「唐意」は単なる復古ではない。
手捏ねの速度、素地の息づかい、
磨かれる前の「本来の姿」へと戻ろうとする心である。
飾らず、
しかし自ずと品を持つ佇まい。

「退歩集」は過去へ退くのではなく、
内側へ一歩退くことである。
器が再び自分の呼吸を取り戻し、
時間と欠損が同居し、
古意が現代に静かに立ち上がる。

この唐意紫砂杯は、古代の複製ではない。
現代において「古へ向かう対話」を形づくった器である。